いまだ出逢えぬ高遠の桜~その2

吐く息が白く流れる。こぶしを握り締め、指先の冷たさを手のひらで温めながら、雨上がりの歩道を歩いていく。やや背中を丸め、うつむいて歩く足元に、街路樹の桜が花びらを撒き散らかしていた。花びらは木々の周囲に広がり、雨の痕が残る歩道に桜色の影を落としているかのようだった。

今から思えば・・・知らないことが多過ぎた二十代。武田信玄・勝頼父子は知っていても、その勝頼の弟、五郎盛信のことは全く知らなかった。「長篠の戦い」で織田・徳川の連合軍に敗れた勝頼は、甲斐に戻り再起を図ろうと喘ぐ。そんな“瀕死”の武田を“掃討”すべく、信忠を総大将に据えて軍を進める織田勢、向かうは甲斐府中だ。戦わずして開城、織田軍門に下る武田の諸将。もはや勝頼につき従う者はおらず、戦国最強と怖れられた甲州軍団は止めようもなく崩れ去っていく。その中にあって、武田の威厳を天下に知らしめたのが、高遠城の守将盛信だった。それまでの勢いを駆って無血開城を目論む信忠、口上には僧侶を使わせたという。その僧侶の耳を削ぎ「いつでも攻めてこられるのがよろしかろう」と啖呵を浴びせて、信忠を激昂させた盛信。武田掃討戦で唯一の“戦い”は、激闘であったことは想像に難くない。落城に際して盛信は「思い残すことなし」と腹を切り、自らの臓物を掴み出して後ろの壁に投げつけたという逸話が残るほどだから。

この戦で城方は全滅、そこで流された血を吸って高遠の桜は赤く染まるという。あと一週間もすれば、伊那の山間にも桜の季節がやってくるだろう。高遠桜の“赤”の秘密、その真偽を確かめられずに、もう二十年が過ぎようとしている。