翡翠 ~前編~

国道41号線を北上、神通川沿いの大らかな曲線と豊かな道幅の上を走る。県境を越えて、岐阜から富山へ・・・細入村が富山市に合併したから、いきなり“富山市”になる。旅人には、ちょっと寂しい平成の大合併。“風の盆”で有名な越中八尾も、今は富山市となって、まったく味気ない。街道のどこを見ても、行先は“富山市”の文字ばかり・・・どこか興ざめしてしまう。平らなところまで下りてくると、高校三年生の頃に一年だけ過ごしていた街並みは、すっかり面影が無くなっていた。当時のままの建物は、ひとつも見当たらない。雪国らしいコンクリートの白い道をひたすら北へ・・・市街地に向かってにぎわう通りを富山ICで別れて、北陸自動車道に乗り、進路を西へと変える。はるか左手に日本海が、うっすらと青い線を空の下に引いていた。

有磯海SAに立ち寄って、「ます寿し」の昼食。東京では見かけない絵柄に、北陸を旅している気分が盛り上がる。その先、魚津ICで下りて、国道8号線を渡り、海岸線を走る県道に出る。日本海が付かず離れず、左手に寄りそう。さすがに夏も終わりの午後では、蜃気楼が浮かび上がることも無い。途中、魚津らしい海の物を扱う店を二つ、素通り。昼を食べていなければ、“漁師汁”ののぼりをほっておくことはしなかっただろうに・・・後ろ髪を引かれながらも、海岸線を西へ。目指すは、上杉謙信公ゆかりの上越。その前に寄り道がしたくて、狭くてくねった県道をわざわざ走り続ける。「ヒスイ海岸」・・・その名のとおり、ヒスイの原石が打ち上げられることで有名な、富山の海岸は、県道が国道に合流する少し手前にあった。

<後編につづく>