天晴!おまえは石田三成か?!~もうひとつの6月12日

太閤秀吉が死んで上方の空気が一気に徳川家康へと流れ始め、折しも豊家の亀裂が軋んで焦臭くなってきた時分に、その“事件”は起きた。“事件”ではなく“暴挙”と呼ぶべきか・・・不仲の加藤清正らに命を狙われ、あろうことか敵対する徳川家康の屋敷に逃げ込んで“命拾い”したという石田三成。乾坤一擲の勝負に出た結果が“とりあえず”吉になったのは歴史の教えてくれているとおり、その機転には感心するというか、まさに天晴れだ。これを知って知らずか、我が家でも“事件”が起きた。6月12日のことである。

前日の金曜日に、つまらないことでkeiと喧嘩・・・お互い“一歩”も譲らず、無言のまま土曜の朝を迎えた。そして暑い中、散歩から帰ってくると・・・スパイクがない!部屋に入ってもkeiの姿がない。江戸川でシロ&ネロと戯れている間隙を縫っての逃亡劇だ。大方実家にでも帰ったんだろう、まあ、よくあることだ。あまり気にもせず、淡々と「自分時間」を過ごしていく・・・陽もだいぶ傾いてきた頃、ポケットの中で携帯が鳴り始めた。keiからだ。無視するほど腹を立てているわけでもないので、とりあえず「もしもし」。「今、馬橋」ときた。実家は実家でも・・・ワタシの実家だ、そこは。まさかそんなところに転がり込むとは・・・おまけに両親と三人で弟の見舞いにも行ってきたらしい。ryoも連れず、まして単独で行くことなど、あり得ないのに・・・何という大胆、何という不敵。信じがたい“軍事行動”に、しばし唖然・・・清正らは“引き渡し”を要求したらしいけど、さすがにそれはないわけで・・・結局そのまま何となく“和睦”となった。

果たして三成は家康に命を預けたのか?この話の真偽も含めて、諸説はいろいろとあるようだ。命拾いはしたものの、大局的には豊家の命運を縮めてしまった気がしてならないけど・・・。我が家の“女”三成はと言えば、上手いこと切り抜けたなーって感じ、その戦法をほめてやりたい。もしかして部屋にある読みかけの『孫子の兵法』でも熟読しているのだろうか?そうだとしたら・・・しばらくは勝ち目がないかもね。