イチ押しが“石川秀美”だった頃の話~後編

虹色に光る盤面が妙に期待感を煽る。レコードでは上から針を落とすところを、CDはその光輝く面をレンズが読みとっていく仕組みだ。それすらも知らず、上下さかさまに乗せようとして危うく恥をかくところだった。説明書どおりにCDを取り付けて、天板のカバー閉める。三角形が右に90°倒れたボタンを押すと、一瞬の間があってから、勢いよくCDが回り始めた。LPののんびりした動きに慣れてしまった目には、「壊れてるんじゃないか?」と思うほど、その回転速度は尋常じゃなかった。おまけに全くヒスノイズが聞こえてこない・・・「やっぱり壊れてるんじゃないか?」。

アンプのボリュームを少しずつひねっていくと・・・いきなりストリングスの音がスピーカーから飛んできた。そう、飛んできた・・・何の前触れもなく、唐突に。あわてて、ひねり過ぎたツマミを左に回して、「REOでよかった」と息を漏らす。これがKISSだったら・・・どのアルバムを選んでも、一瞬の大音量とともにスピーカーが“飛んで”しまったに違いない。聴き慣れた旋律は、確かににごりが無くて、ケヴィン・クローニンのヴォーカルが一段と冴え渡っている。古くなったレコード針がLP盤の“溝”を不快にこする音がするはずもなく、六畳一間のアパートに音が満ちていた。

時は流れ、今や音楽は“配信”される時代。CDでさえ、肩身が狭く映る。カセットテープも消え、Bongoで活躍している“MD”も、もはや過去の遺物になりつつある。握りしめた手のひらに何千曲も持ち歩ける今、東京都の外れ、多摩市の1DKで過ごした4年間が懐かしく思い出される。