日光湯元の記憶~前編

龍頭の滝上を越えて、白い雪は若々しかった。去年は春が近い三月、今年はそれからひと月も早い一月の終わり。土色に汚されることなく、枯れ木の森を白く埋め尽くしていた。細い枝の先まで、雪が白く線を引いている。赤沼のバス停から戦場ヶ原に沿って一筋に延びる道も、湿原とアスファルトの境も白く覆われていて、クルマが走ると粉雪が舞い上がった。それなのに、圧雪路を普段と変わらない調子で進んでいく路線バス。カーブで遠心力を十分に感じる、その速度に少しだけ怯えながら・・・東武日光の駅から一時間以上かけて、バスは湯元温泉に到着した。

日常から切り離されることが旅だとすれば、冬は、うってつけの季節かもしれない。ほんの数時間前まで、澄み渡る空に太陽が上がっていたのに・・・いきなり白と黒だけで表現された世界に立たされる感覚。他の季節では、これほどうまくはいかない。時間の重なる様を連続して目で追っていたから驚きはしないけれど、これがクルマで、しかも助手席に座って宇都宮辺りから眠り込んでいたら・・・白く煙った世界に“ポン”と放り込まれたようで、目と肌がきっとビックリしたことだろう。

運転席の横からバスを降りると、ブーツの底で雪がきしむ。体重をかけるたびに、きゅっ、きゅっと、細かな粒が踏みしめられる。水分の多い“ぼた雪”とは違って、サラサラしている雪は、つま先で蹴り上げると吐く息を凍らせたような白を漂わせる。光が無いのにガラスのようにきらめいて落ちていく。降りてすぐに見えるほど、今日の宿屋はバス停にほど近い。その宿屋の建物に沿うようにして、ひとつ目の路地を左に折れると、青地に白抜きの看板が見えてくる。屋根からは、すき間なくつららが垂れて、長いものは地面の雪を突き刺そうかというくらいに伸びている。板塀の向こうから、かすかな硫黄の臭いが雪の上を流れていた。

温度を細かく調整するための仕組みを持たない、象牙色した鉄製の四角い装置が、床の間から無粋に温風を吐き出している。部屋中にこもった熱が着ている服を素通りして、かじかんだ素肌に直接触ると・・・じんじんと心地よく痺れてきた。触覚が戻ってくるまで、大量生産された煎茶を入れて、丸い盆に載せられたお茶請けをほおばる。『きぬの清流』・・・日光周辺の銘菓のようだ。窓は上半分を少しだけ残して結露していて、外がにじんでよく見えない。それでも明るいのは、雪の白が、外に見える景色のほとんどだからだ。透明なガラス戸一枚隔てた向こうの世界には、もう戻れない・・・。少し落ち着いたところで、浴衣に着替えると、一階にある浴室へと部屋を出る。湯の平湿原から引いた硫黄泉は“源泉かけ流し”・・・このぜいたくな響きがたまらない。

<つづく>