大人が子どもの大きいがか?子どもが大人の小さいがか?~後編

父親と息子で、似てないはずもない。ただ、ワタシがryoにそっくりなのではない。ryoがワタシに似てきたはずなのに・・・その息子にそっくりと言われても・・・ピンとこない。ざりぱぱに向かって口をとがらせていると・・・話の輪の中に居たokano師匠が、合の手を入れてきた。「でも、いいじゃねえか。若返ったってことだからよ」。そう言われてみると、悪く気はしない。ざりぱぱにも“走り”が若く映っていたのなら・・・かなり、いい気分だ。

BAY FMで昼の時報が流れる頃には、ほとんど弁当を食べ終わりそうな勢いのokano師匠。「昼飯だけは速いだろ?」と、疲れた顔色に、明るく笑みが差していた。隣に置いたパイプチェアーに腰を降ろして、カップのみそラーメンをすすり始める。だらしなく、まだ学生を続けている放蕩息子だけど、気づけば一緒にバイクに乗るようになっていて・・・後ろ姿に、自分の影を見ることもあるほどだ。ryoがKX乗り始めてすぐの頃、keiが言っていたっけ・・・「あんたを見ているようだ」と。