「93位」の漢

この時代に憧れを抱く人は、かなり多い・・・ワタシも、そのひとりだ。

『日本史上最強の武将は誰だ?』というムック本が、コンコースにある書店の棚につき刺さっていた。ちょっと毒づいた感じのイラストで、表紙の白装束は織田信長。槍を片手に、本能寺で奮戦する姿が描かれている。武将を、本のタイトルどおりに“強さ”で序列して・・・100人。それだけ揃えば、半分もしないうちに知らない名前がずらりと並び出す。ワタシの惚れた武将は、はたして100人に入っているのか、いないのか・・・入っていてほしいのに、どこか自分だけの世界にしまっておきたくて・・・期待と不安に交互に包まれながら、厚めのページをていねいに繰っていく。

序列の終わりが見えてきて・・・ほとんど諦めていた最後の1枚。その先頭の93位に、探していた名前が記されていた。仁科盛信・・・伊那谷、高遠の守将は、絶望すら感じさせる“寄せ手”の織田軍を前に、戦わずして下る武田勢にあって、最後の意地を見せた“漢”として語り継がれている。憧れを通り越して、怖れを抱かせるほどの武将は、四郎勝頼の異母弟。武田最後の武将といわれる所以だ。織田方の使者として立った坊主の耳をそぎ、真っ向から織田軍に挑んだ武田五郎盛信。最期は腹を切り、自らの内臓をつかみ、後ろの壁に投げつけて果てたと言う・・・。

高遠城趾の桜は、とりわけ朱が強いと言われる。盛信以下、古の武田武士が流した血潮に染まるからだと、立て看板に書かれていたことをふと思い出した。その桜、見頃は4月の終わりまでで、5月の連休ではほんの少し間に合わない。初めて高遠を訪れてから、もう25年が経つ。今年は、朱に染まる高遠桜を、間近で愛でてみたい・・・そして遠く、盛信の男気を、もう一度感じたい。ワタシもそろそろ“半世紀”、少しくらい仕事を休んでも、そうバチは当たらないはずだ。