一乗谷城の戦い ~後編2/2~

女子高生と若い背広姿の間に、そっと腰を下ろす。江戸風に言えば「こぶし腰うかせ」してくれたのは、右隣りになった女子高生のほうだった。自前のノートに目を落とし、文字を追っては瞳を閉じて、少し上を向く――チラリと横目で、蛍光ピンクのマーカーが引かれているところと見ると、日本史の暗記中らしい。時代はワタシの好きな戦国乱世、鉛筆で書かれた“織田信長”の黒い文字の下で、「1573年(天正元年)一乗谷城の戦い」の一文が、蛍光ピンクの上に浮かんでいた。でもこの戦、同じページの下でマーカーされている「太閤検地」とは、とても比肩するものではないのに・・・。

一乗谷城の戦い(いちじょうだにじょうのたたかい)は、天正元年(1573年)、織田信長朝倉義景を討つべく越前に侵攻、居城の一乗谷城を炎上させて勝利した合戦である。古豪・朝倉氏を壊滅に追い込み、織田信長が自らの存在を日本全国に知らしめることになった戦いとも言えるけど・・・高校生がその年号まで覚える戦じゃないはず。日本史の先生に何を教えてもらったのか、この娘に訊いてみたかったけど・・・さすがにそれは、できなかった。

ちなみに“悪趣味の極み”とされた「髑髏の杯」は、翌1574年正月の祝宴での話。真偽のほどは定かではないけれど・・・“魔王”信長がうかがい知れる逸話であることは間違いない。