一夜漬け(十五夜~番外編2)

歌トモはrepetitionに厳しい。2回目から、いつも“新曲”を持ち込んで披露するのが、何となく二人の約束事になっている。あの月食の夜もそうだった。

用意した手持ちの新曲は、しかし、歌い始めてすぐになくなった。雑用ばかりに追われていたせいで“練習”時間が追いつかず、you tubeを数回“見た”だけのワタシの天野春子は、さっさと三途の川を渡ってしまうし、サザンの桑田は風にさまよい続ける・・・。最近聴かせていない曲を選んで、リモコンの送信ボタンを操作するのもつかの間、タマは途端に打ち止めになった。困ったときの「80年代アイドル」検索も、いつもの半分しかない持ち時間が、簡単にはそれを許さない。歌トモの視線がリモコンの小さな液晶に跳ね返る。そうなると、もう、kissしかない。

ひさしぶりでもないのに、声が思うように出てこない。それも、高い音だけが、ひどく裏返る。「それなら」と、リストの中からbethを選んだ。生粋のバラードは、ラジオのDJさえ間違えてしまったのだから、初めて耳にする人は、誰もあのメイク集団の楽曲とは思わない。ストリングスの伴奏に、ピーターのしゃがれた声がうまく絡む。愛妻リディアにささやくピーターに倣って、やわらかに息を吐くだけで音を出していく。音域に幅のない旋律は、やれた喉でも何とかたどっていけた。メロディーラインを歌いきり、あとは2つの音を残すだけ。最後のひとつはグンと音域を上げて、フェードアウトまで伸びていく。

吐く息は喉をすり抜け、アタマで思い描いていた音のとおりに、声帯を震わすことはなかった――。

「木曜日、期待してます――

今回、懐メロを合わせて新曲は4曲ほどです」

あの夜から、ほぼひと月。ようやく週末の痛みが退いてきたワタシに、歌トモから誘いのメールがやってきた。すべてがひと段落していて、うまい時機だけど、お約束の新曲が用意できないでいる。今から探して明日まで、何とか4つ揃えるとなると・・・新しい旋律よりも、英語の歌詞を暗記する方が早そうだ。ひとつ中学時代を思い出して、明日に備えてみますか。暗記するのは苦手だったけど、『相棒』をお預けにして一夜漬けでも・・・。