泥とワダチと新しい出会い 4

「ゆっくり回るつもりが、ゆっくり走れなかった」と、パドックに帰ってきた彼女は、そう笑った。ゆっくりでも走っていられないほど、路面はユルく、コースはグチャグチャだと言っているのだ。ようやく85SXを水たまりの残るパドックに下ろしていたのに、彼女のこの台詞と10分間のインターバルとで、走り出す気持ちがふっとしぼんでいく。その虚ろな瞳に、遠くYZ85の脇にたたずむnagashimaパパが映った。ゴーグルの下、見えない眼光が、こちらに向けられている。そのヒカリに射抜かれてはしかたがない、泥のように重たく沈みかけた気持ちを忘れるようにSHOEIをかぶり、しっかりとSCOTTのゴーグルを合わせる。締まった砂利をリヤタイヤが薄く食んで、85SXが弾むように乾いた排気音を響かせ加速する。

スターティングゲートの後ろを大きく左に巻きながら、その右端で、狭くコースへと入っていく。目の前に見える何本ものワダチ、そのどれもがライダーの迷いを刻みつけるように、不規則に大きく蛇行している。クラッチレバーを握り、右手でエンジンをあおりながら、左足でシフトレバーを踏み込む。チョンと触れただけでギヤが噛み、そこから一気に右手をひねり上げ、丸みを帯びた銀色のレバーから左手の指の腹をずらす。一瞬、エンジンの回転数が落ち込んで、シートの端が少し下がるように動いた。右手と左手の動きをそのまま続けていると、後ろに自重を残した85SXが瞬間、前に飛び出して、ワダチに落ちては出て、また落ちてを繰り返しながら、ふらつくように走り出した。吐き出す破裂音とは裏腹に・・・。

<つづく>