やっぱり・・・ 5(完)

<12/28の続き>

木々の根本をすくうように左カーブをなぞり、同じ斜度で今度は下っていく。途中で傾斜のきつくなる下り坂は、その瞬間にタイヤが路面を離れて、ふわっと落ちていく感覚を味わわせてくれる。それでもカラダを後ろに引きながらステップに立ち、わすかにハンドルバーを手前に引き寄せれば、フロントタイヤは軽く浮き上がり、リヤタイヤが山砂をたぐり寄せて、やがて坂の底に落ち着く。そこから、一つ二つとテーブルトップをいなし、二つ目の斜面でブレーキペダルを引きずり、目の前の短いフープスの、その最初のコブへフロントタイヤを垂直に合わせる。

エンジン単体の軽さからくる自由。カラダの動きを敏感に感じ取っては、右に左に、後ろに前に。マシンはそれだけ自在だ。おまけに左の指先だけで、すぐに帰ってくるエンジン回転。その回っている回数だけで、車体を前に弾いて、時にカラダを置き去りにする。ひとたび回転を落としてしまえば、言うことを聞かずに走らない。ただ、その冴えない走りは、再び回転を上げて、最大トルクを吐き出す回転域から一変する。その狂気じみた反応を、でも一度も乗りにくいと感じたことはない。RZ250から30年以上たった今もカラダの中、その感覚は綿々と受け継がれている。

見事なグリップをみせる山砂を蹴り、新しい相棒がカン高く叫びながら、最後の上り坂を駆け上がる。やっぱりワタシは・・・2ストロークエンジンのこの加速が、好きでたまらない。