R.I.P.

HONDA嫌いで袈裟まで嫌いなワタシは、スペンサーもガードナーもドゥーハンも・・・誰も彼も最後まで、好きにはなれなかった。往年の片山敬済でさえ、気持ちはそう変わらなかった。学校を卒業して社会に出てからもロードレースへの熱は冷めないまま、2ストローク500cc4気筒がすべての頂点にあると信じては、ケビン・シュワンツの一か八かの走りに憧れ、HONDAを駆逐する姿に手を叩き歓喜していた。

いつしか「六強」と言われた時代が過ぎ、2ストローク最強伝説が崩れかけた頃、にわかに速い500ccライダーが現れた。ポケバイあがりの名は、加藤大治郎。世界を狙えるただ一人の日本人は、HONDAを駆り、「大ちゃん」と皆に愛されていた。エースライダーには排気量で勝る4ストロークのモンスターマシンが優遇される、2ストローク終焉の時代に、孤高のライディングでNSR500をいくども表彰台に上らせた彼は、茶髪に幼い笑顔がよく似合っていた。

実績が実力に追いつき、ようやく4ストロークマシンのシートを確保した2003年、ホームグラウンドの鈴鹿シケインからドクターヘリで移送され、そのまま帰らぬ人となってしまった。モトクロスを始めたワタシは、74に2を付けて、274でレースを走るようになった。「大ちゃん」にあやかるように。HONDA乗りなのに大好きだったGPライダーは、その年の4月20日、永遠の眠りについた。