マルテ珈琲焙煎所 2

飴色を深くした引き戸に近づいただけで、それとわかる匂いが、外までほんのり漂っている。蔵造りの建物に似合った少し重たいその木戸を引き、ゆっくりと敷居をまたいでいく。立ちこめるのは、燻されたような香ばしい香り。そして、目の前の狭い空間には、円筒型をした銀色の艶。そこだけが明るく、奇妙な存在感を押し出している。得も言われぬ、焙煎された褐色の芳香は、建物の隅々に滲み着いていて、訪れる者を静かに包み込む。こんなところで好きな書のページを送れたなら・・・・・・至福の時を想像するだけで、心が満足する。マルテ珈琲焙煎所。もっと早く、その藍地の暖簾をくぐればよかった。

マルテ珈琲焙煎所

長野にある小布施は、古の面影をいくつかの小径に残す、麗しい街だ。善光寺からほど近いここは、「栗の街」としてもつとに有名で、休日は多くの観光客が通りを賑わせる。酒蔵もワイナリーもあって、いつ来ても飽きることのないこの街に、行きたくても行けてなかった場所がある。何となく、いつも素通りしていたそこは、インバウンド向けのゲストハウスから下がったところで、木々と土の褐色に隠れるようにして佇んでいる。大きな暖簾には、藍地に白い筆で円が描かれ、その中に「テ」の一文字。この夏、その暖簾をようやくくぐることができた。

つづく

いつになったら

西の陽が雲間に隠れてもまだ、昼の熱がシャッターの奥にこもるガレージ。その暗がりに、独り立つ。マシン三台が、何も言わず、定位置に整列している。どれにももう、しばらく乗れていないか・・・・・・。明日の夜からまた、梅雨のような日々だと天気予報士が言う。欠落したモチベーションが上向くタイミングは、かなり長いスパンが必要になってしまった。これが恵みの雨ならば、かなりの重症だろう。早く戻ってこい。

キネマの神様

映画、それも邦画を映画館で観るなんて、『汚れた英雄』以来無かったこと。数十年ぶりに、そんなことを思わせるのは、新聞への広告展開が成功したのかもしれない。ただ、その気持ちが素直なことは確かで、主題歌にもハッとする歌詞があったりと、ひさしぶりに心が騒がしい。できることならオリジナルの配役で観てみたかったけれど・・・・・・今はもう、それは叶わぬこと。ともあれ、柔らかなベルベットのシートに体を沈めて、職人たちの妙技にひととき身をゆだねてみたい。

その香りに

何年、いや何十年ぶりになるだろうか・・・・・・再び、珈琲に夢中。それも昨日の今日、瞬く間に燃え上がった。ひとまず手動のミル。これはアウトドアでも使える小作りの一品を、これまた折り畳み式のドリッパーと併せて、ネットショップでカートに入れて即決済。どうしてこんなに急くのか?理由があるとすれば・・・・・・それは「香」。話はまたの機会に譲るとして、連休明けの仕事を前に、とにかく愉しみが止まらない。

また来年の夏に

旅の終いに、朝から太陽が照りつける。空には怪しげな灰色が帯をなして、時折その強い陽射しを遮り、路傍の草が音を立てる。そのたびアスファルトが陰影をなくして、ざらついた鈍色を海岸へと落としていく。ネロを連れて歩く、出立に不似合いな晴天。いっそ雨に降られた方が気分も出ると言ったら・・・・・・言い過ぎだろうか。さて、いくつかやり残したことを抱えたら、また山を越えて、家に帰ろう。

おかあさん

思いもしなかった青い空に、朝から太陽が上り、辺りに光をまき散らす。近づく台風が荒れた土曜日を連れてくるはずだったのに・・・・・・まったく昨日と同じ、暑く目映い海日和がやってきた。その日を引き連れ、半島の西から東へと抜けて、複雑な海岸線を海と面一に車を走らせる。そして、途中途中の看板に惹かれながらも、やり過ごし、東から西へと帰っていく。最後まで雨に当たらず、能登での夏も今日が最後。定宿に戻ると、いつものおかあさんが穏やかに出迎えてくれた。もう何年もここで夏を過ごしている。来年もその次も、おかあさんたちに会いに来られたらいい。